徒労捜査官

人間なのか何なのかよくわからない連続殺人犯を追う捜査官たちの不活躍を描いた小説非小説

2. 共同謀議

 

 亀沢小学校が、落語家殺人事件の捜査権を落札したのは、教頭の指示によるものだった。

 
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亀沢小学校校門前

 

 教頭着任60周年をみずから祝うための、全校あげての記念行事として、殺人事件の捜査をするつもりでいたのだった。

 落札後の職員会議で、事件捜査に着手することが初めて発表されたが、あのワンマン教頭ならやりかねないな、まあ勝手にやってよ、という諦めの表情を作ることで職員たちは反対する意志がないことを示した。

 校長 f:id:ironoxide:20150602021730j:plain も乗り気ではなかった。
 面倒な仕事をいろいろ言いつけられるのかと思うと気が重かった。

 しかし、路上で物乞いをしている自分をたまたま見つけ、校長の資質を見出し、引き上げてくれた恩人が教頭では頭があがらない。しかも政界財界に豊富な人脈を持ち、リンゴを握りつぶすほどの握力の持った人物であるとなれば、ある種の保身から《熱狂的に教頭を支持する校長》を演じるしかなかった。

 落札を祝して剱岳に登るために富山県に向かった教頭に代わって、1週間前まで乞食をしていた校長は、職員を前に、《苦悩の果てに悲壮な決意をした独り身の40代男性》を演じつつ、捜査することの意義を訴えた。

「われわれは、かつて経験したことのない重責を担っています。なんと申しましても尊い人命が奪われた事件なのであります。これに対してわれわれは断々乎として立ち向かわなければなりません。われわれは決断力と結束力と行動力と洞察力と耐久力と魅力と……」

「ちょっといいですか?」

 校長をやや見下している男性教諭  f:id:ironoxide:20150602021731j:plain が校長の話をさえぎった。

「校長がさかんにおっしゃる《われわれ》というのは、われわれのことなんでしょうか?」
「ほぉ? われわれ以外のいったい誰がわれわれだというのでしょう」
 校長は、欧米人がよくやる、f:id:ironoxide:20150311135839j:plain肩をすくめて両腕を広げるf:id:ironoxide:20150311140307j:plainポーズで、この男性教諭の質問を受け流そうとしたが、男性教諭は受け流されなかった。

「どなたが捜査の指揮を執るのかわかりませんけど、われわれ教職員がその指揮下に入るという規則はありませんよね」
「たしかにありません。ありませんが……」
 言いよどみつつも脳裏に有馬温泉という駄洒落が浮かんで、ニヤつきながら校長は答えた。
「申し上げるまでもなく、事件の捜査をひとりで行うのは困難です。ですから先生方のような、有能で有望で勇敢で勇猛で優秀で優美で、ええと……」
 校長は、《ゆう》で始まる熟語を並べようとしてもがいた。

「あのですねえ」

 気の短いことで知られている年輩の女性教諭 f:id:ironoxide:20150602021735j:plain が、苛立ちを隠そうともせずに口をはさんだ。

「教員という職務がどれほど多忙なものか、いくら乞食でも、校長になるくらいの方ならおわかりでしょ?」
もと乞食です」
「科目を教えるのは仕事の一部であって、運動会だの学芸会だのPTAだの……」
 女性教諭は溜め息をついた。
「ともかく、事件を捜査している時間があるとお考えですか? 聞き込みや検問、逮捕、事情聴取、送検、そんなものいったいいつやんのよ!……いや、やるんですか?」

 その問いに対して校長は、《1週間前に着任したばかりで難しいことはわからないと、いまになって言い逃れをする無責任な凡夫を熱演するしかなかった。

「なんと申しましても、これは教頭のご意向であり、私はスポークスマンに過ぎないわけでありますからして、ご異存のある方は、直接教頭とお話しください」

 学校教育というものを甘く見ている新任の男性教諭 f:id:ironoxide:20150602021732j:plainが手を挙げた。成り行きを見ながら発言の機会を窺っていたらしい。

「こうしたらどうでしょうか。捜査を生徒たちに任せちゃうんです。塾だのなんだのといろいろあるんでしょうけど、ぼくらほど忙しくはないですからね」

 定年までの半年間を無難に過ごそうと考えている男性教諭 f:id:ironoxide:20150602021734j:plain はその案に反対しようと挙手をしかけたが、職員の多くが、新任の男性教諭の意見に大きく頷いたり身を乗り出したりするのを見た刹那、考えを改めた。そして、その案なら自分がとうに思いついていたかのような口調で発言した。

「犯罪捜査という、実社会に直結した仕事を任せる。生徒たちの成長にとっては千載一遇のチャンスですよ。それに生徒なら、もしものことがあっても家族が路頭に迷うことはない。生活のために母親が夜の街に立つこともない。合理的じゃないですか、校長」

 これを聞いて、劣勢を挽回する口実を得た校長は、《小心者のくせに、人のふんどしで相撲を取ることを恥とも思わない下司野郎》を好演した。

「代弁してくださってありがとうございます。そう、それなんです、私の申し上げたかったことは。生徒たちの手で犯人を検挙できれば、彼らにとって大きな成長につながることは間違いありません」

 この意見に異議を唱える職員はいなかった。それどころか、面倒なことは生徒に押しつけておけば自分たちは通常の業務に専念できる、と胸をなでおろす音が職員室のなかに轟きわたった。

「では、捜査員の任命ですが、各担任が自分のクラスから推薦していただきましょう」
「いやいや、校長。部活を利用するんですよ。あのクラブはどうでしょう」

 面倒に巻き込まれるのが嫌いな学年主任 f:id:ironoxide:20150602021733j:plainはそう言うと、自分のすぐ後ろに隠れるように腰かけている、影の薄い中年の男性教諭 f:id:ironoxide:20150629185505j:plain の方を振り返った。

象凡先生料理クラブの顧問をなさってらっしゃいますよね。いかがですか?」
 象凡教諭は、はぁ、と言葉なのか溜め息なのかよくわからない音を発した。

 学年主任は続ける。
「校長。亀沢小学校の料理クラブは逸材の金鉱とでも言うべきクラブなんですよ。ねえ、象凡先生」

 f:id:ironoxide:20150629185505j:plain「ありがとうござ……」
「ご存知ですか、校長。このクラブの高学年は全員すでに内定が出てるんです。それも、ソフトバンクとかDeNAとか楽天といった一流企業ばかり。まあ、本人たちは進学したいと言ってるんで、就職は中学校を出てからになるでしょうけど。ねえ、象凡先生」

 f:id:ironoxide:20150629185505j:plain「ええ、そうなんです。私としてもこれ……」
「ただ、楽天に投手として内定をもらっている生徒は、もう来季からキャンプに参加することになっています。ねえ、象凡先生

 f:id:ironoxide:20150629185505j:plain「はい。ぜひチームのエースになっ……」
「ほぉ、それは頼もしい! 本校の料理クラブがそれほどまでに優秀だとは知りませんでした。では、本件の捜査は料理クラブに一任することにいたします」

 校長は、それほどのクラブなら、自分の一存で決めても、教頭に叱られることはないだろうし、クラブの顧問以外には不満を抱く職員はいないだろうと安心して決定を下した。

 そして、料理クラブを推薦した学年主任も念を押した。

「ではお願いしますよ。象凡先生」

 f:id:ironoxide:20150629185505j:plain「はぁ。わかりました」

 こうして、亀沢小学校の料理クラブが、今回の殺人事件の捜査にあたることになったのだった。

 

∴ つづく ∵

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