4. マエストロ
料理クラブのその日のメニュー、炊き込みご飯ができあがった。
飯をよそう係の4年生、鯉畠瑞鳴 が、豊富な食材を炊き込んだ飯を7人分、伊万里焼の茶碗に盛って配った。
「こいつぁ旨そうだ!」
「ああ、香ばしい匂い」
「これぞ日本の香り」
「しかし伊万里とは、また豪気じゃないか」
「ほう……」
象凡教諭 は器を眼の高さにかざして、その出来映えにしばし見惚れてから言った。
「じゃあみなさん、いただきましょう」
「いただきます!」
部員たちは、手を合わせるのもそこそこに貪りはじめた。
最後に箸を手にした象凡教諭は、飯を用心深くひとつまみして口に入れ、下顎を2度上下させて止めた。そして右の頬の筋肉をわずかに痙攣させると、口のなかのものを床の上に吐き出して、テーブルを拳で殴りつけた。
「何だこれは! ブタの餌か! いや、ブタでも喰わんぞこんなもの! だし汁は米1合につき197mlだと黒板に書いてあるのが見えんのか。4mlも足らんじゃないか! お前らの眼玉は金玉か!」
教諭は と叫んで立ち上がり、ダイニングテーブルをひっくり返した。
「こんなクソまずい飯作ってて犯人が逮捕できると思ってんのか! なにが甲冑だ。炊 き込みご飯も満足に作れんやつが甲冑のことを言うな! 相手は人殺しだぞ。人殺しをするような連中は狂ってるんだ。狂った奴に炊き込みご飯が作れるものか! や いのならとっとと国に帰っ ちまえ、この私生児ども! 俺に墓はいらん!」 |
教諭は、脈絡のないことを喚きながら部室を出ていった。
部員たちと茶碗の破片を拾いながら部長の木村天佑斎が言った。
「すまんな。だし汁を調合したのは僕なんだ」
1年生の嘉室屋俊悦がなだめるように部長に言った。
「いいさ。次は信楽焼を買ってもらおうぜ」
象凡教諭の味覚は病的なまでに鋭く、精度の高い音感を持った音楽家が、オーケストラのなかのひとつの楽器のわずかなチューニングの狂いでも聴き取れるように、調味料の量を1mg単位で感知することができるのだ。
だから、だし汁が4mlも違うと、まったく別の料理になってしまい、一時的に気が狂うのだった。
部員たちはそんな教諭を《マエストロ》と呼んで尊敬していた。
翌日、Amazonから料理クラブの部室に中世ドイツ式甲冑が届けられた。
キーキーと不快な音をたてながら、部員たちは甲冑を装着してみた。
ひとりでは着られないので、互いに着せあった。
「うん。これなら、どこを斬りつけられても大丈夫だ」
「日本刀だったら、刀の方が折れるかもしれんぜ」
「しかし重い。……おい、ぶつかるぞ。気をつけたまえ」
「横が見えないんだからしようがないじゃないか」
「これで犯人と闘えるのか?」
「普通に歩けるかどうかも心配だよ」
「おい君、掴むなよ! わ!」
テーブルの脚にけつまずいた戌山六角がそばいにいた窪伊仙遊に抱きついたので、ふたりとも転倒して金属音を響き渡らせた。
「大丈夫か?」
ふたりはなんとか起き上がろうと奮闘した。
「だめだ」
「すまん。起こしてくれ」
「こりゃ訓練期間が要るな」
翌日の未明、墨田区に隣接する葛飾区で、同じ手口による殺人事件が起きた。