15. 正義
大阪の被害者はフリーターの若い男だった。
早朝、スプレー缶を手にしたまま血だまりのなかで絶命しているところを、通行人が発見した。
個人商店のシャッターに落書きしているところを襲われたらしい。
頭部が縦にまっぷたつに裂けて、双葉の芽のように開き、あたりにはサロンパスのような匂いが漂っていた。
「そうとう威力のある刃物やないと、こうはいかんで」
「斧とかナタとか、そんなんでやったんやろな」
「通り魔か?」
「辻斬りとか」
「物取りかもしれん」
「ちょっとまてよ、内ポケットあたりに……ほら、財布があるわ。中身は、ええと……5,314円。物取りの線は消えたな」
「衣服の乱れがほとんどない。ということは争ってないわけや」
「ほな、知人による犯行っちゅうことか?」
頭部の切断面は、標本にできるほど鮮やかだった。
「これが小脳でこれが脳梁、それが、ええと」
「脳下垂体やろ」
「そやな」
「うわ、ぶよぶよや。触ってみ」
「ほんまや、気色わるー。もうええ、いこいこ」
にわか検視官になった通行人たちが遺体をいじくりまわしながら言いたい放題に話していた。
通り魔的な行き当たりばったりの性格をもった犯行ではないという意見が、近隣の住民の間では優勢だった。
深夜、人通りが少なくなると、スプレー缶を手にした似非アーティストたちがどこからともなく湧いてきて、店舗のシャッターや壁に匿名の自己を顕示して逃げ去る。
そのなかに、ラルフ・オコーナーの経営する雑貨店があった。
消しても消しても落書きされる。もう放っといたらええやんか、と面倒がる中学生の長男も動員して、定休日に家族4人で月に1度の行事になった落書き消しをしながら、
「刑務所に入ってもええから、こいつら殺したいわ」
と、店主がため息混じりにつぶやいた翌日の早朝、店の前で落書き屋の遺体が見つかったのだった。
昼夜、往来の絶えることがない大阪・アメリカ村のメインストリート
大阪市では、事件の捜査権は入札ではなく、法人個人を問わず、事件に関わった者に優先的に与えられることになっている。
今回の被害者による落書きの被害者がオコーナーの店だったという妙な係わり合いから、店主が、大阪市役所に捜査権を申請しに行き、即日、オコーナー家の家族4人に捜査権が認められた。
しかし、オコーナーとしては、犯人を逮捕するつもりで捜査権を申請したのではなかった。
よくぞ殺してくれたという感謝の気持ちを伝え、アメリカ村に出没するほかの落書き屋たちの暗殺を依頼するのが目的で捜査をすることに決めたのだった。
事件が起きた翌朝、オコーナーの店のある通りの建物には新しい落書きが見られなかった。
オコーナー家の息子、ルークが言った。
「お父ちゃん、あいつら、完全にびびってるやん」
「それでも落書きがなくなったわけやないんや、ルーク。八幡宮の前のマシューズさんとこもまた落書きされとったわ。10人くらいは殺してもらわんと、アメ村から落書きはなくならんやろ」
妻のアイリーンが言った。
「それに、あんなスマートな殺し方やなくて、お腹裂いてはらわたまき散らすとかして見せしめになるようにしてほしいわ」
高校3年生の娘、サンディが言った。
「べつに殺さんでもええんちゃうの? 鼻と耳そいで電柱に縛りつけといた方が見せしめになるで」
「お前らも、たいがい残忍やな」
「それより、あそこ切り落して二度と女とできん体にしたったらええんよ」
その言葉に驚いて、アイリーンは娘の顔を覗きこんだ。
「……サンディ。どないしたん。あんたがそんなこと言うて、おかあちゃん、びっくりやわ」
「サンディ、なんかあったんか?」
サンディはうつむいて、ぽつりと言った。
「あたし、二股かけられててん」
「え。あの大学生か?」
「あの人やなくて美容師やってる男。合コンで知り合うてん。そいつ、美容室に見習いで入ったコともつき合うてたんよ」
「ほな、大学生のカレシはどないなったんや」
「彼は阪大の学生で頭ええねん。友達に自慢できるからまだつき合うてんねん」
「イケメンなんか?」
「まあ並ゆう感じや」
ラルフとアイリーン、そしてサンディの弟ルークは、サンディを弄んだ男への復讐を誓いあった。
そこで、なんとか犯人とコンタクトを取って、アメリカ村の落書き屋を皆殺しにして、娘を弄んだ美容師を去勢することを依頼できますようにと、一家そろって法善寺横町の水掛不動に参った。
アイリーンが、手を合わせながら、ラルフに聞いた。
「依頼するのに、なんぼくらい払ろたらええんやろな」
「見当つかんけど、ゴルゴ13ほどはいらんやろ」
「これでやってくれるやろか?」
アイリーンは、片方の手のひらをいっぱいに開いた。
「……5万か。そのくらいでやってくれたら助かんねんけどなあ」
「ちゃう、5千円」
「あほか。とにかくなるべく安うてすむように、お不動さんに祈れ」