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徒労捜査官

人間なのか何なのかよくわからない連続殺人犯を追う捜査官たちの不活躍を描いた小説非小説

25. 王者の挽歌

 

 テレビで報道されて以来、辻斬り殺人事件のことはすでに全国に知れ渡っていて、今回の事件も、現場に漂っていたサロンパスのような匂いから、同一犯と見られた。

 高知市では、市長をKOした市民に捜査権が与えられることになっていた。

 まず市役所で申請者の書類審査があり、それを通過すると面接試験。ここで候補がひとりに絞られ、市長と対戦することになる。

 現市長のソンポーン氏 f:id:ironoxide:20150529014341j:plainが現役のムエタイ選手なので、たいていは異種格闘技の形式になる。

 これまでレスリング、柔術、テコンドー、鎖鎌、モンゴル相撲など、さまざまな格闘技の強豪たちが、事件が発生するたびに、捜査権を得ようと市長に挑戦したが、なにしろ相手はタイ国ミドル級チャンピオンなので、ゴングの余音が消える前に倒されていた。

 前任の市長のなかには格闘家がひとりもおらず、申請者に簡単にKOされていたので、市長ともあろうものが、なんという体たらく、土佐の恥、と業を煮やした有権者は、タイ国で無敗を誇っていたソンポーン氏に投票し、圧倒的得票数で市長に立てた。

 しかし、ソンポーン氏が強過ぎるので、市長に就任してからは、高知市で捜査権を手にしたものがおらず、事件はすべて迷宮入りになっていた。

 そのため、凶悪事件の発生件数が急増し、殺人や誘拐、商店の略奪、痴漢などが白昼の往来で、人眼も憚らず行われるようになったために、ソンポーン市長の支持率は一転して、歴代最悪となり、抗議集会が市内のあちこちで見られるようになっていた。

どこの国でも、大衆とは身勝手なものだ
 執務室でひとり頭を抱えるソンポーン市長だった。

 

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市長の辞職を求めて庁舎前に集まる市民

 

 今回の捜査官の選考で、書類審査と面接試験を通過したのが、市内の製麺所に勤める若いOLで、剣道で対戦することになっていた。

「これも秒殺か」

 市長は、机の上に投げ出された顔写真付きの選考書類をしばらくぼんやりと眺めていたが、こうなったら《死ぬほど嫌いなキュウリ》を使うしかない、と呟いて自宅の妻に電話をかけた。

「明日の朝食には、キュウリつかた野菜サラダ作てくれ。わたしに気づかれないように、0.5ミリ以下のみじん切りにして、ほかの野菜にまぜこむね。それから、なんの野菜食べてるか味わからなくなるくらいたぷりドレッシングかけるしてくれ」

 自分がキュウリを食べているところを想像しただけで、胃がせり上がってくるような不快感を覚えながら市長は市庁を出た。

 対戦の場となるのは、太平洋を臨む桂浜

 翌朝の対戦の会場を設営するために妻を連れて桂浜にやって来た市長は、松林のなかに円形のリングを組んだ。松の根元にゴングが据えられ、妻が鳴らすことになっていた。レフェリーは息子が務める。

 

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組み立てられたリング

 

 翌朝。試合会場に向かう車のハンドルを握るソンポーン氏は、助手席の妻に段取りを話した。

「もちろん、キュウリ入たサラダ食べさせられたこと、わたし知らない。コンディションOK、今回もまわし蹴りいぱつで試合を終わらせたら、ささと家に帰てセクスでもしましょうとのんびりしてるわたしに、あなたがそと囁く。今朝のサラダにはキュウリ入ていましたのよとね。そしてすぐにゴング鳴らす。わたしとつぜん吐き気をもよおして、フラフラしながらリング中央に向かう。スキだらけのわたし竹刀のひとふりで倒される。わかた?」

 

 試合は寸分違わず市長が目論んだ通りの展開になり、OLが捜査権を獲得した。

 強烈な竹刀の突きで胸骨を砕かれ、救急病院に搬送された市長は、収容先の病院から声明を出した。

ムエタイ選手として再起不能いう医師の診断を重く受け止めて、本日をもて、市長を辞任するです

 前市長の表情に敗者の屈託はなかった。
 市政の長という軛を解かれ、これで故国タイに帰ることができる。そう言いたいかのような安堵だけが浮かんでいた。そして、それがそのまま死に顔となった。

 当面、市長職を代行することとなった副市長が82歳で病弱であるため、治安回復を願う市民の期待はにわかに高まった。

 その翌日、辻斬り犯人のものと思しき遺体が発見された。 

 

∴ つづく ∵

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