徒労捜査官

人間なのか何なのかよくわからない連続殺人犯を追う捜査官たちの不活躍を描いた小説非小説

26. 平面的な死

 

「ことによったら、犯人と刃を交えんならんぞね」

 高知市で起きた辻斬り事件の捜査官に採用された上川千枝f:id:ironoxide:20150508202851j:plainは、保育園小学校中学校高等学校大学と剣道部で鍛えられ、大学では武士道を専攻し、剣の技だけでなく、剣の精神にも通じていた。

 花柄のワンピースの上から面と胴をつけ、小手をはめ、竹刀を手にアパートの部屋を出たところで、ちょうどやってきた郵便局員に荷物を手渡された。

 送り主は、市内の派出所になっている。

 部屋に戻り、防具をはずして、ゆうパックの伝票が貼られた箱を開けると、恐ろしく読みづらい字と文体で書かれたメモが出てきた。

 

f:id:ironoxide:20150524194216j:plain

 

「保さんて誰なが?」

 どうやら、辻斬り犯人が自動車の間にはさまれるのを目撃してから、その遺体を交番に届けるまでの経緯を、目撃者本人が書いたものらしい。

 メモの下には、しわくちゃになった犯人の遺体があった。擦った疵や破れがあり、タイヤの跡もついている。

「腹くくって捜査に出かけゆうところに犯人の遺体かえ……なんや気ぃ抜けたのう」

 千枝はとりあえず、遺体にアイロンをかけてから検視を始めた。

  • 身長:297mm
  • 横幅:210mm
  • 厚さ:0.13mm
  • 体重:4.23g

 体格はぴったりA4サイズで、表面には、日焼けした若そうな男が張りついていた。

 坊主頭で、首には手拭いを巻いている。痩せた上半身の肩からは伸びきったランニングシャツが垂れ下がり、下は膝の破れた作業ズボンに草履。

「なんや気の弱そうな男やねゃ。17人も殺めたゆうがはほんまかえ」

 そして右手には、乾いた血がこびりついたナタが握られていた。

「凶器はナタやったがか。ほいたら辻斬りゆうより辻割りぞね」

 冷酷な連続殺人犯とはいえ、すでに骸。
 千枝は、両手を胸の上で組ませてやった。小さいので、指の一本一本を動かすのにピンセットを使った。

 そして紙を裏返すと、まくれ上がっているランニングシャツを下ろして、尻の泥をはらってやった。タイヤの跡も消しゴムで注意深く消した。手から抜き取ったナタは、足許に置いた。

「おんしも事情があったがやろうけんど殺生はいかんぞね。罪はあの世で償いや」

 そして遺体をA4のクリアファイルにはさんで、机の抽き出しの中にしまっておいた。

 後は、被疑者死亡のまま書類送検という運びになるのだろうが、何もしないのに事件が収束したので、捜査のために仕事を休んで確保しておいた時間がまるまる余って、することがなくなってしまった。

「まあええ。今からでも仕事に行くか」

 ともかく、さらなる犠牲者が出る可能性のなくなったことを国民に知らせようと、関連するサイトを検索したら、東京にある京成電鉄の久米小路駅が立ち上げたFacebookページ、 《久米小路駅辻斬り事件ヽ(#`皿´)ノ》が見つかった。

 千枝は、ケータイのカメラで写した犯人の遺体画像を、ごく簡単なコメントをつけてこのページに投稿し、仕事に出かけた。

 

f:id:ironoxide:20150508204436j:plain 上川 千枝 逮捕前に犯人は事故で死んじょったき、もう心配いらんちや。
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∴ つづく ∵

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