徒労捜査官

人間なのか何なのかよくわからない連続殺人犯を追う捜査官たちの不活躍を描いた小説非小説

35. カニの野望[最終回]

 

 団子屋での労役をすませて監房にもどると、千枝f:id:ironoxide:20150519173020j:plainは着替えもせず、用足しのあとに手も洗わず、里村忠彦からの封書を開けた。

 やはり章吾の現象が書いた字だけあって、筆蹟も同じ、ヒラギノ角ゴ Pro W3 だった。

 

 前略

 千枝、元気で刑期を務めているか?

 この間、僕(弓崎章吾)が送った手紙の内容に、僕(里村忠彦)は反論したい。

 章吾が、自分が本質で、里村忠彦が現象だと君に説明してるけど、僕の見解はちがう。

 われわれは、《ほぼ同一人物》の関係にある、というのが僕の見方だ。数値で表すことはできないけれど、体感としては、8割が同一人物。あとの2割が別人で、この2割が容貌や人格や考え方の差異を許している。

 その差異のなかに、たまたま、高い身長、厚い胸板、エクボ、二重まぶた、虫歯のない歯とか、ちょっと不公平な容貌の違いなんかも含まれているということなんだ。

 だから、彼の言った、現象としての忠彦が消えようとしている、という推測も成り立たない。

 僕らが、ほぼ同一人物だという前提に立つと、忠彦だけが消えて、章吾が残るなんていうことは起こり得ない。わかるだろう?

 もし忠彦が消滅したら、章吾も8割は消えることになる。消えて、エクボとか二重まぶたとかいったものだけが、それぞれ単体で残ることになるだろうね。

 

f:id:ironoxide:20150616224129p:plain← 単体で残されたエクボ

 

 章吾がそんなことを言うのは、本質>現象という発想を利用して、優劣をつけようとしているんだよ。それは、千枝を独占したいからなんだ。

 愚かなことだ。僕らはほぼ同一人物なんだから、独占したって、君はほぼ僕のものでもあるのだからね。

 

 話はかわるけど、剥き出しの便器がある監房で恋人といっしょに住もうなんて、僕もデリカシーがなさすぎたね。長年、海の男をやっていたからこうなってしまったんだろうか。

 刑務所の監房にはまだ空きがあったのだから、そこを借りてトイレ兼物置にでもして、僕の監房の便器には花でも生けておけばよかった。思慮が足りなかったよ。

 実は、千枝が刑務所を飛び出したとき、僕はその後を追いかけようとしたんだ。ところが監房を出たところで、僕が脱走しようとしているのだと思った刑務官たちから一斉射撃を受けてハチの巣にされてしまった。

 すぐに商店街にある病院に搬送されたんだけど、さいわい弾がみんな急所を外れて貫通していたので、大手術にはならなかった。まだ起き上がれない状態だけど、あと10日もすれば退院できるだろうと医者も言ってる。だから心配しなくていいよ。

 ところで、『うみいた』が、ローカルだけど好評で、エッセイなんかの仕事も入ってくるようになって、なんとか生活ができる見透しがついたから、制作に専念するために製麺所を辞めることにして今日、所長に辞表を出してきた。

 残りの刑期も1か月を切ったね。 いま住んでいる高知のアパートを、出所の日に合わせて引き払うことは家主に伝えてある。

 出所したら、いよいよ東京だ。漫画を全国的にブレイクさせてやる。もちろん、千枝、いっしょに来てくれるよね!

 僕は宣言する。君を梅に……

 

 そこまで読んだとき、監房のドアが勢いよく開いて、アヒルf:id:ironoxide:20150523122342j:plainが駆けこんできた。

ちょーっと待ったぁ!

「あら、九州知事。まだアヒルしてるんですか?」
「それがくさ、人間に戻る呪文ば知っとる者がおらんもんやけん、新聞の求人広告で呪術師ば募集しよるばってん、見つからんとよ」
「それは困りましたね」
「ほんなこつ。とくに箸の持てんとが不便たい……いや、それより千枝さん、だまされたらいけんよ!

 弓崎章吾と里村忠彦は、本質>現象の関係でも、ほぼ同一人物の関係でもないと、アヒルは切り出した。

「わたしもあの一族には酷い目におうたとやけんが。あいつらのせいで、わたしもいまだに人間に戻れんとよ……」

 九州知事は悔しさを滲ませた声で訴えたが、アヒルの表情では、とても悔しいのか、それほどでもないのか、いまひとつわからなかった。

 

弓崎も里村もカニなんや。千年生きたカニは神通力ば使えるごつなるげな。人間にでん化けよる。ここの商店街で働きよる者の何割かはカニやけんね。あいつらは、歯舞群島を日本から独立させて、カニ国を作るつもりでおるとたい」

 そんなことより、自分の婚約者の正体がカニだったと聞いて、千枝は怒りに燃え上がり哀しみに沈み込んだ。

 高知にいた頃の忠彦との毎週末の逢瀬。ホテルで過ごした聖夜。

「子供は千枝に似た女の子がいいな」というプロポーズの言葉。

 そして、忠彦を実家に連れていったとき、土佐藩士を曾祖父に持つ無骨な父親が、めずらしく笑顔で優しい言葉をかけてくれたこと。
お前の選んだ男ながやき、信じちゅうがで、千枝

 それらすべてを、カニの偽装が笑い話にしてしまった。

 そして食用以外に役に立たない下等動物に心も体も弄ばれた屈辱に、ながらく忘れていた武士道の精神が甦り、いっそ自刃しようと思ったが、刑務所内では刃物の所持は禁止されているし、翌日が給料日だったから、いま死ぬわけにはいかなかった。

 

「とにかく、まず人間に戻る呪文を見つけましょう、知事」

 千枝はそう言って監房を出ると、7分で戻ってきた。

「呪文がわかりました。ジーュンムィンートッア・ンッエ です」
「なんと! どぎゃんして知ったとかい」
「職業訓練室のパソコンで、アヒル・呪文・カニ・人間に戻る、をキーワードにしてググったんです」
「そうか。その手があったか……お、おお!」

 千枝が口にした呪文が利いて、州知事は人間の姿に戻った。

 少し頭頂が薄くなった、印象に残らなさそうな中年男性だった。

「ありがとう。おかげで箸が使えるよ。よし、千枝さん、祝いだ。北海道の新鮮なカニを食べにいこう。お金なら心配しなくていい。出張費のなかにカニ費も含まれてるんだ」
「ところで、連続殺人事件はどうなったんですか?
「ああ、あれか。どうなったんだろうね」
「犯行の動機はなんだったんでしょうか?」
「さあ、なんなんだろう……それよりカニ食いにいこうよ、カニ」

 

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∴ おしまい ∵

 

ご愛読、ありがとうございました。

 

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