7. 顔本
「これなんですけどね。もう、いくつかコメントがついてますよ」
久米小路駅の助役 が、ノートPCを駅長 の机の上に置いた。
「ほう、これがフェースブックというやつか。君にこんなものを作る能力があるなんて知らなかったよ」
「恐縮です」
「この、ネコが群がって餌を喰ってるような写真は?」
「これは、群がったネコが餌を食べている写真です」
「やっぱりな」
「その左下の写真は、君が飼っているネコというわけだな」
「いえ。ネコは嫌いなんで飼ってません」
「じゃ、どうしてネコ……まあいいや。さっそくこれで情報を……おいおい、《久米小路》じゃなくて《粂小路》だろ。自分が助役をやってる駅の字を間違えるなよ」
駅長は苦笑して助役を見た。
「へ? わたくし生まれも育ちも葛飾柴又で、高校に通うのにもこの駅を使ってましたけど、ずっと久米だと思ってました……というか、久米が正解だと思うんですけど」
「……信じられん。こんなことが実際にあるんだな」
駅長は、四白眼になるくらい眼を剥いて、しばし助役を見つめた。
「《畠山》という苗字の人が、大人になるまで自分の苗字を《畑山》だと思いこんでいた、というのとほとんど変わらんのだぞ。大丈夫か? 疲れてないか? よし。私といっしょに来い。そして,その眼で西の空を見てみろ!」
駅長は助役の腕をひっ掴んで、駅の外に連れ出そうとして立ち止まり、念を押した。
「いいか。不都合な真実を見ても、絶望するんじゃないぞ!」
顔面蒼白の駅長が、助役に支えられて駅長室に戻ってきた。
そして、雑煮の餅のようにソファにべったりと横たわった。
「大丈夫ですか、駅長! 真実がちょっと不都合だっただけじゃないですか! しっかりしてください」
「中学校を出てすぐに、下級職員としてこの駅で働きはじめてから六十有余年、いまこのときまで、《粂》だと思っていたんだよ私は。笑ってくれ」
「誰にだって勘違いはあります。気にするほどのことじゃありませんよ」
「ああ死にたい。そして、人知れず咲き人知れず枯れて土に還ってゆく野辺の花に生まれ変わりたい」
勘違いの域を明らかに踏み出していて、おおいに気にすべきことではあったが、駅の最高責任者としての資格に疑問を感じて、駅長が辞任するなんてことになると、自分が駅長代行として捜査の指揮を執らなければならなくなる。助役は駅長が悲観的にならないように、駅長が座右の銘にしてる中国の故事成語から適当に選んで織り交ぜながら語りかけた。
「駅長。なにごとも《羊頭を掲げて狗肉を売る》ですよ。駅長という羊頭を失ったら、誰が狗肉を売るんですか?」
「うん……そりゃそうだ。君の言う通りだ。いや恥ずかしい。粂が久米だったとしても、そんなもの誤差の範囲じゃないか。そうだ、こんなことしちゃいられない。おい、フェースブックの情報はどうなった?」
【情報求む!】 久米小路駅の構内で、刀剣類によると見られる殺人事件がありました。検視の結果、手口から見て、侍による辻斬りの可能性があります。 ▶葛飾区にお住まいのみなさんに伺います ・今月10日の零時ごろ、久米小路駅周辺で不審な人物を見かけませんでしたか? いいね! コメント シェア |