徒労捜査官

人間なのか何なのかよくわからない連続殺人犯を追う捜査官たちの不活躍を描いた小説非小説

34. だんご女

 

 章吾との口論のすえ、千枝f:id:ironoxide:20150519173020j:plainは、裸足のまま監房を飛び出し、刑務所を出て、行く当てもなく商店街を歩き出した。

 ときどき振り向くが、章吾は後を追ってこない。

「やっぱり彼は、あたしより便器を愛してたんだわ
 千枝は、両手で顔を覆うと、しゃがみ込んで嗚咽した。

 背中をたたく者がいた。
 章吾だと思った千枝が、思いきり拗ねた表情を作って振り向くと、商店街で働く人たちが、心配そうな面持ちで立っていた。

 f:id:ironoxide:20150523225505j:plain「千枝さん、知ってたかい? あの、おたうわ欽平(本名:弓崎章吾)という男はね、出所したら本格的に制作スタジオを構えて、アシスタントを大量雇用して、いま地方紙に連載している『うみいた』を全国的にブレイクさせてやろうなんてたくらんでる、ゲス野郎なんだ」

 f:id:ironoxide:20150523225503j:plain「あんたをアシスタントにしようとしたのは、漫画を描く苦労を分かち合い、そしていつか苦労が実ったとき、その喜びもともに分かち合いたいという希望に胸をふくらませているからなんだ。とんでもない悪党だよ」

 f:id:ironoxide:20150523225423j:plain「そして、漫画で生計が立てられるようになったら、あんたを孕ませるつもりでいるんだよ。安心して子育てができるように、決して千枝には金で苦労はさせない、金の苦労をするのは男の仕事だ、なんて思ってるのさ。ひとでなしだよ、こいつ。人非人だよ、人非人

 f:id:ironoxide:20150523225504j:plain「で、子供が生まれたら、北海道の広大な美しい自然に囲まれたところに家を建てて、大地のような大らかな人間に育てようとしてるんだ。子供の名前は、ふたりの名前から1字づつとって、女の子なら《章枝》、男なら《千吾》にする腹でいるんだぜ。厚顔無恥とはこういう奴のことを言うんだよな

 f:id:ironoxide:20150523225506j:plain「とにかくもう近づいちゃいけないよ」

 

 そう言われても、刑期が始まったばかりの千枝は、刑務所に戻る以外に選択の余地はなかった。
 もちろん、便器に心を奪われている章吾の部屋には住めないし、監房は違っても、廊下や娯楽室で顔を合わせるのがイヤだった。

 そこで刑務所に戻って、受付で女性の刑務官に事情を説明すると、原則的には、殺人などの凶悪犯は9階の監房に収容されるのだが、同性として気持ちはよく理解できるので、章吾と顔を合わせることのない4階の監房に収容するという超法規的措置がとられた。

 4階には、分別せずにゴミを捨てる、電車内で携帯電話で楽しそうに話をする、女性を頭から足先までいやらしい眼でじろじろ見ながら、どんな下着をつけているのかを想像する、などの微罪で服役中の受刑者が収容されている。

 ここの受刑者は懲役刑なので、刑務作業が課せられている。
 日中は全員、商店街にある会社や店舗、公共施設などで労役に服さなければならない。  

 千枝は、商店街の入り口にある、みたらし団子の店で、団子屋小町として働き始めた。
 時間給が764円と、北海道の最低賃金だったが仕事は楽しかった。

 真っ白な装束をまとったお遍路さんの一行が、ちょっとここで休んでいきましょうや、なあ、と言って、店頭にある赤い毛氈で覆われた床几に腰をおろすと、すかさず、町娘風の着物と日本髪で身繕いをした千枝が盆をもって現れる。

 

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 残りの刑期がひと月を切り、団子屋小町らしい立ち居振る舞いもいつしか板につき、千枝が目当てで毎日買いにくる客も増えた。

 出所してからも小町としてここで働いて、この貝殻島で一生を終えよう。人殺しなどという大それた罪を犯した科人の身で夢を見るのはやめよう。

 そんな諦念を抱くようになっていた頃だった。

 店内の商品ケースの内側に腰かけて、団子屋小町らしくニコニコしていたら、商店街の要所に据えられているスピーカーから流れていた、コープランド作曲、《市民のためのファンファーレ》の音量が小さくなり、郵便局からのお知らせがそれにかぶさった。

「川上……じゃなくて上川千枝さん、上川千枝さん、高知市にお住まいの婚約者、里村忠彦さんから封書が届いておりますので、貝殻商店街郵便局の5番カウンターまでお越しください。繰り返します。上川……じゃなくて、あ上川でいいのか。上川千枝さん……」

 

∴ つづく ∵

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